リオ・デビュー(2)
カルロス・リラ目当ての客がもう6時半にはどっと押し寄せていて、
この頃には道路にまで人が溢れてすごいことになっていた。
でも、あと10分あったので、店の2階で練習していいかと聞いて上にあがったら、
すぐにまたオーナーが来て、
「パーカッショニストが帰ってきたよ」
と言う。
それで、またあわてて下に降りて、パーカッショニストに構成表をみせて、
大急ぎで、何の楽器で、どんな感じにやってほしいかを伝えて、彼も理解してくれたので、
ほっとしてやっとマイクの前に座ったら、またオーナーが来て、衝撃の一言が発せられたのだ。
「アキコ、今回はギターが聞こえないから1曲だけにしよう」
1曲?! たった1曲?!
これには大ショック。そんな、最初からたった3曲なのに、それを1曲にされてしまうなんて...
カルロス・リラのバンドにはギタリストが他にもう1人いて、その人がエレアコを確か使っていたので
「彼のを借りられませんか?」
と聞いてはみたが、オーナーは
「あのギタリストは私の友達だけど、ミュージシャンは他の人に楽器を貸したがらないし、
もう7時まで5分しかないからやめた方がいい」
と言われてしまった。
オーナーは何がなんでも7時にショーを始めたいのだ。
確かにそれもわかる気がするので、私は1曲だけの出演に全てを託すことにした。
そしてそのまま、まったくリハーサルもせず、ぶっつけ本番がスタートした。
オーナーは、ショーが始まる前に私の紹介を華々しくやってくれて、
今回は3曲やるはずだったんだけど、私のギターがエレアコじゃないので急遽、
1曲だけになっちゃったんだと細やかに説明した。それで、いざ私の出番。
私はギリギリまで何をやるかで迷ったが、日本語の方を歌ってくれとういことだったので
さんざん悩んで、「十字架」を歌うことにした。
どうせギターの音が小さいのなら、しっとりしたおとなしい曲の方がいいかなと
思ったのだ。
歌い始めると案の定、モニターもぜんぜん返って来なくて、ギターは限りなく小さく、
私の声ばっかりガンガンにでっかい状態でのライブになった。
しかし、店の前だけは、まるでアマゾンの深夜の山奥のよう(想像だが)にシーーンと静まり返って、
たとえ誰かのお腹がグ~ッとなっても、ここに居る全員にくまなく聞こえるだろうと思われるほど。
オーナーの紹介の仕方が良かったのだろう、みんなが耳を凝らして真剣に私の歌を聴いてくれたのだ。
そして、終わると、まさに静寂を討ち破る大拍手だった!
たった1曲勝負、自分としては花丸である。「十字架」は自分も好きな曲なので、
ギターはともかく、歌はけっこう満足行くように歌えたし、なんだかみんなも喜んでくれてるし...
こうして私は、なんとか笑顔でステージを降りることができた。
ポルトガル語のボサノバが日本で人気があるのと同じに、日本語のボサノバはブラジルでは大好評。
どこの国でも、おじさんやおばさんはみんな感動してくれるのかもしれないが、
面識のないたくさんのブラジル人の方々に、「よかったわ~」と言ってもらえて、素直に嬉しかった。
ホストマザーは、彼女の姉の家にステイに来たアメリカ人の子、ホストファザーの前妻の子2人、
娘であるサマンタと恋人のパウロ等など、たくさんの親戚・知人を引き連れて来てくれていて、
1年分の喜びの表情を集めたらこんなになるのかっていうくらい喜んで、
「アキコが歌ってる時に、まわりの人たちがみーんな、なんて綺麗なんでしょう!これは誰の曲?
って口々に言ってたからこれは彼女が作ってるのよ!って教えたのよ!
そしたら、あらそうなの!ってみんな驚いて、すごく感動して聴いてたわよ!」
と、とっても大袈裟な報告をしてくれた。
ライブが終わった後、オーナーは、
「今回はこんな形になってしまったけど、CDも聴いてすごく気にいったし、
あなたの曲はとても美しいし、ライブもよかったよ。
今度エレアコが調達できたら、ちゃんと別の機会を作るからね」
と言ってくれて、ちゃんと後日、その約束を果たしてくれた。
時間を守らない、約束を守らないブラジル人が多い中、彼は例外中の例外だ。
1曲だけの出演に最初は落胆した私だったが、あのまま3曲やっても、間が持たなかったであろうことは、
冷静に考えれば明白な事実である。オーナーの決断は、正しかったのだ。
それで、私の後に今夜の目玉であるカルロス・リラのライブが始まった。
私は一度店の中へ引っ込んで、始まってから店から出てお客になってゆっくり観たかったのだが、
とにかくすごい人だったので、後から出て行って一番前に陣取っては申し訳ないしで、
そのまま店の中から彼のライブを観た。
ライブのあとは、サインを求める人でものすごい状態で、結局私は、もう店から出るに出られず、
そのまま人が引いていくまで店にずっと居ることになった。
もちろん私もカルロス・リラにサインしてもらいたかったし、そのままずっと待って、
やっと人がいなくなってから、サインをもらって、写真を撮ってもらってやっと終了。
カルロス・リラ自身も、汗だくでかなりお疲れの模様だった。
これが私の、バタバタ・リオ・デビューの模様である。
その後はこれをきっかけに他の店に出演したりする機会もあり、
なんだかんだとライブをやらせてもらうことができたのだった。
そして日をあらためた4/8、オーナーは私のソロ・ライブを企画してくれて、
私はギターの師匠であるセリア・ヴァイスにエレアコを借り、
約50分のライブを同じToca do Viniciusの店頭で行わせてもらった。
とにもかくにも、お世話になった方々全員に感謝感謝感謝である。
ブラジルでは、私が不安そうにしていると、よくみんなが
「Tudo vai dar certo. (大丈夫、すべてうまくいくよ)」
と言ってくれた。私は今もこの言葉が大好きだ。
イパネマで自分の曲のライブをやるのは、私の夢だった。
それを語っている時は、誰もが「そりゃあね、できればいいけど」と笑った。
でも、あきらめなければ夢は叶う。
うまく行くと信じていれば、それは本当にうまく行くのだ!
(終)「リオ・デビュー」