« リオ・デビュー(2) | メイン | CARNAVAL 2003(1-3) »

リオ・デビュー(1)

サンバ・カーニバルの後夜祭を、ブラジルでは”灰色の水曜日”と呼ぶ。
それは華やかな祭の終焉を名残り惜しむ1日でもある。

カーニバル出場後、1日置いてカーニバル観戦にも行った私は、完徹続きで
すっかり昼夜逆転の生活になってしまい、その日の夜も、やっと眠れたのが朝の5時ごろ。
結局そのまま11時半ごろまで寝ていたら、
「電話よ」
と起こされ、私の灰色の水曜日は始まった。

ヨタヨタと起き上がって受話器を取ると、それはToca do Viniciusのオーナーからだった。

「今日、夜の7時からカルロス・リラのライブをやるから、その前に3曲だけアキコも歌えるか?」

頭が真っ白というのは、まさにこのことだろう。
Toca do Vinicius、カルロス・リラ、ライブ、歌う... 
色々な言葉がまだ半解凍中の頭の中でゆっくり廻る。
しかし次の瞬間、私はとにかく答えていた。

「Eu posso, posso!(歌えます!)」

Toca do Viniciusというのは、リオのイパネマにある、ボサノバ専門店。
あのボサノバの名曲「イパネマの娘」が生まれたレストラン「Garota de Ipanema」と
同じヴィニシウス・モライス通りにあって、多くのボサノバのCDや楽譜、
関連アーティストの書籍などを販売していて、ボサノバ・ファンなら訪れないわけにはいかない店である。

その店の前では、定期的にオープン・ライブをやっていて、私はそこでライブがやりたくて、
オーナーに自分のCDとプロフィールを持って出演の交渉に行っていたのである。
ちょうどそれがカーニバルの前で、彼は一通りの私の話を熱心に聞いた後、

「これからカーニバルだからちょっと忙しいけど、その後に必ずこのCDを聴いて、
 カーニバルが終わった頃に連絡するよ」

と言ってくれていたのだ。
なので、たぶん返事は3月半ばくらいかなぁと思っていた私は、思ったより早い電話にまずビックリ。
しかも、カルロス・リラの前座で歌わせてもらえるなんて!

カルロス・リラは言わずと知れた、ボサノバ世代の有名なアーティストの1人。
「マリア・ニンゲン」「ジャズの影響」「私の恋人」等々、素敵なボサノバをたくさん書いている
大御所作曲家・歌手である。

寝起きで、もう最初は何がなんだか...という状態ではあっても、
こんなチャンスはめったに来るもんじゃないということだけはちゃんとわかった。

とはいえ、今日の今日、ライブまではあと8時間しかない。
あまりの突然の話で、何を演奏するかは即答できなかった。
しかも、リオに来て2カ月、私はずっとソロ・ギターと編曲のレッスンを受けていて、
いつもやっている弾き語りを充分に練習していなかった。

カルロス・リラを観に来る山のようなお客さんを考えると、ひとりぼっちで異国のステージに立つのは、
さすがに少し不安もあった。
そこで、カルロス・リラのバンドにパーカッションが居たら、その人に私の時も叩いてもらえないかと、
頼んでみたのだ。するとオーナーは
「パーカッショニストは来るから、頼んでみてあげるよ」
と快諾してくれた。

それから、私に
「演奏する曲がダブるといけないので、何の曲をやるか決めたら、電話して」
と言って、ひとまず電話は終わったのだった。

私はなんだか地に足が着いていなかった。
夢じゃないよね?...ドラマみたいに頬をつねってみたいくらいだ。
そのままフラフラと台所に朝ごはんを食べに行くと、最初に電話に出たホストマザーが
ちょうど昨日着た自分のビキニを干しながら、
(リオの一般家庭では、キッチンの奥にランドリーコーナーが併設されている)

「さっきの電話は、Toca do Viniciusのオーナーでしょう?」

と言うので、

「今晩、イパネマでショーをやることになったの」

と言うと、彼女はすっとんきょうな声を上げた。

「嘘でしょ?!本当に?!どこで、どこでやるの?!」

私が笑って、

「嘘じゃないよ! Toca do Viniciusの店の前でやるショーで、
 しかも私はカルロス・リラの前に歌うのよ!」

と言ったら、本当に飛び跳ねてどこかへ行ってしまいそうな勢いで驚いて
私に抱きつき、また悲鳴を上げた。彼女はとっても感激屋さんなのだ。

そしてひとしきり喜んで私から離れると、キッと真剣な顔になり、

「手伝えることがあったら、何でも手伝うから言うのよ!
 早く朝ごはんなんか食べて、練習しなくっちゃ!」

とまるで自分が出るかのように大ハリキリ。
そしてそのあと、近所の親戚や友人に電話をしまくって

「今夜7時から、うちに居る日本人のアキコがショーをやるのよ、観に来て!」

と誘い始めたのだった。


私は、いつもの朝食であるパンとパパイヤを食べ、紅茶を飲みながら、
何を3曲やろうかなざぁと考えていた。

オーナーからは、日本語の歌を2曲、ポルトガル語を1曲という指定だったので、
まず日本語の私の曲は、やり慣れている「ヴィンロンの鳥籠」と「十字架」に、
ポルトガル語はジョビンの「So' emteus bracos」にすることにして、食後に電話して曲名を伝た。
そして夕方6時に店に行くことになった。

それで、それからいざ、練習開始。
合間に、パーカッション用の構成表も書いて、ふと気付いた。

そういやー、MC(曲のおしゃべり)もポルトガル語なのだ。
喋る暇なんてあるかわからないけど、一応その練習もしたりして、ギターを2時間くらい弾いていたら、
前に神経を傷めた指にまた一瞬激痛が走ってしまった。これはマズい...

ちょうど2年前、私はギターの弦のテンションで指先の神経を損傷し、
約1年間、弾く事ができなかったのだ。
その後、テーピングをしてだましだまし練習を再開し、なんとか事なきを得ていたのだが、
ここでまた再発の危険が出てしまった。
一度ぶり返すと、数日はどうしても痛みが引かないから、私は焦った。

急遽、練習は中断。そして、腹を決めた。
もう、こうなったら出演することに意義があると考えよう。
失敗したって、ここはブラジルだし、ここまで来てジタバタしてどうする?
もうリハーサルまでは一切弾かないで、本番は、たとえ痛くても血が出ても、何がなんでも弾く。
もうそれしか道はないのだ。迷う余地はない。

昼ごはんを食べたら、ちょっと昼寝でもしよう...

決心したら、ノミの心臓もちょっと落ち着きすぎなほど落ち着いた。
食事をして、気付いたらもう4時半。
それからシャワーを浴びて、化粧して最後のチェックなどしてたら
もうそんなに時間がなさそうだったので、残念ながら昼寝は断念したのだが。

準備をしていると、自分もバッチリ用意をしたホストマザーが部屋に来て、
「車で店まで連れてってあげるわ」
と言ってくれたのだが、さすがに緊張していて、私は1人になりたかったので、
「色々考えたいし、落ち着きたいから1人で行く。みんなは7時までにきてね」
と言って、彼女もそれを理解してくれたので、1人で出発。


家を出る時、ホストマザーは私の手を取って、

「大丈夫、落ち着いてやるのよ。”ショーをやること”が、一番重要なのよ。
 この間も(私の誕生日パーティの時、たくさん親戚が来て、案の定歌うことになった)
 みんなが、素敵ね、彼女はナラ・レオンみたいだわ!って言ってたんだから。
 うまく行くわよ、大丈夫!」

と言って、送りだしてくれた。

ブラジル人のストレートな優しさがこんなに心に染みたことはない。
嬉しい反面、これでちょっと感傷的になった私は、
緊張と感激と興奮で入り交じった不思議な気分でタクシーに乗った。
家のあるジャルジン・ボタニコ地区から、イパネマまでは車で約15分。
タクシーはラゴア(湖)添いの道を順調に走り始めた。
夕暮れのラゴアは特に美しく、これから私に起こる事は、絶対に素敵な思い出になると思わせてくれた。
大丈夫、大丈夫...

店に着くと、もうPAの用意は始まっていた。
リハをやってもいいよと言われてギターを持って行くと、PAの人がコードを持って待っている。
しかし、私のギターはエレアコ(スピーカーを通して音を出すことのできる、エレクトリック・
アコースティック・ギター)ではなく、普通のアコースティックギター。

「えっ 普通のギターなの?!」

と言われ、そこからが事態は怪しい雲行きになったのだ。

PA担当者はギター用のマイクを何本か出してきて、それをセッティングしてはみるけど、
壊れてるのかそんなのばっかりで、まったく音が拾えない。

一番の問題は、ステージがオープン・ステージだったというこだ。
道ばた(前は道路で、大きなバスや乗用車がたくさん通る)でやる、いわば路上ライブなので、
普通のライブハウスではなんの問題もない”ギターの音をマイクで拾う”という方法では、
対処できないことがわかったのだ。

しかし、私はそれでもなんとかなると思っていた。
ちょうどその時、うしろでパーカッショニストらしき人が、ドラムの準備をしていたので

「私の時も叩いてもらえますか?」
と頼んだら、彼は
「ああ、いいよ!今、セッティングしてるから後で話そう」
と言う。それで安心していたら、それも甘かった。
ふと気付いたら、彼が居ない。

探してもらうと、、家に一度帰ってシャワーを浴びて服を着替えてるって!!
そしてオーナーは、
「7時には必ずショーを始めたいから、それまでに彼が帰ってこなかったら、
 パーカッションもなしでやるか、今回はやめるかのどっちかを選んで」
と私に言った。

私はもちろん、そんなことで出演をあきらめたりしない。

「できればパーカッションが居た方がいいけど、今日ショーをやりたいから、
 7時までに彼が帰ってこなかったらなしでやります」

と返事をした。

(つづく)

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://perola.sakura.ne.jp/blog/mt-tb.cgi/421

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)