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思いを馳せる

2011-08-26-1.jpg電車の中でふと気がつくと周りの人が全員、携帯電話を見ていた...そんな経験はありませんか。
その度に「これって、ちょっとヘンな光景だよなぁ」と思う自分は、世の中に付いて行けていない人間なのかなとも感じます。


「メールって何?」なんて聞かれていた頃が嘘のように、
インターネット、PCメール、携帯メール、チャット、オンラインゲーム、ブログ、mixi、twitter、facebook...etc.
様々なサービスが普及して、一瞬にして誰かと連絡が取れる手段が「普通」になりました。

かくいう私も、これらのほとんどを使っています。
そして、最初は実際の友人知人(今は、それを”リア友=リアル友達”というそうですが)
とだけだったやり取りも、今やほとんどが、直接は会ったことのない方々との交流が主たるものです。

産まれた時からネットが存在する今の10〜20代の若者は、
友達の数を聞かれると、ネット上だけでの友人の数も入れるのだそうですよ。
おいおい、”ネット上だけでの知り合い”は、友達じゃないだろう!
...なんてのは、もはや通用しなくなったのですね。
確かに私も、それがうわべだけの付き合いだとか、リアル友達とは違うとか、そうは思わない。
強いて言うなら、”都合がつかなくて、まだ会ったことのない友人”という感覚です。
数十年前では、たぶん一生出会うことはなかったであろう人と知り合いになり、
気軽に言葉を交わせるなんて素敵だし、
それは確かに自分の世界を広げてくれています。
文明の進歩と共に、「友達」という言葉の定義も変わりつつあるのかなと思います。


でも、気軽にすぐに誰かと連絡が取れる...
便利で効率的になったと実感する一方で、それに翻弄される窮屈感も否めません。


時代は一気に遡りますが、大好きな時代小説を読んでいると、
江戸時代には、手紙(文/ふみ)が相手に届くまでに、どんなに早くても2日以上はかかりました。
他に手段がなかったから仕方がなかったと言えばそれまでですが、
江戸時代の人々には、それが普通だったんですよね。
相手からの返事が来るのを待ったら、最速でも3〜4日は当たり前。
遠い場所なら、数ヶ月かかることも珍しいことではありません。今じゃ気が遠くなる話です。

しかしそれは、果たして不必要な、無駄な時間だったのだろうか?
まず墨を摩り、筆で相手に伝えたい事をしたためる、それを飛脚に託す、相手に届く、
相手がそれを読んで何かを思う、相手が返事を書く、
それをまた飛脚に託す、そしてやっと自分に返事が届く...
これだけの過程を待つ中には、焦り、はやる心を押さえる理性、相手の状況を思いやる気持ち...
まさにそんな「思いを馳せる」余裕があったのではないかと思うのです。
その”時の狭間”は、人間の心=脳が、人の気持ちを慮(おもんばか)るために必要なものではなかったのか。
そんな気がします。

対して現在は、キーボードで活字を打ち込んだら、それは光のように一瞬にして相手に届く。
そしてすぐに返事が届いて、またそれに返事を書いて、またその返事が来て...
メールやtwitterでも、チャットのようなやり取りの場合は特に
「返事」という感覚ではなくて「会話」なので、このスピードこそが命です。
心が気持ちを処理する時間が極めて少ない、そういう中でのコミュニケーション技術が必要で、
逆によくよく考えて...なんてしていたら、やり取りできません(笑)

直接の会話ならマシンガントークも充分可能な私も、
こういうネット間コミュニケーションはさすがにちょっと不慣れです(^^;
声の調子や表情、筆跡など、言葉以外のニュアンスは無く、
活字と絵文字だけで判断しなければならないのに「空気を読め」なんて!
いや〜この時間内でこの情報量では、とうてい無理なのではないか?と、私なんぞは思ってしまいますが、
今はそれを普通に毎日使いこなす人々が、たくさんいるのですね。


すでに電話が存在する世界に産まれた私が、電話のなかった昔には戻れないように、
もうネットのない時代には戻れないのだと、よくわかっています。
でも、ふと思うのです。
精神的に追いつめられたり病んだりする人々が増え続けるのは、
文明が人間の機能を越えてしまったからではないか...
人の心は、そんなにたくさんの気持ちを一度に処理できないので、
オーバーヒートしてしまうのではないか...と。


ネットは楽しい!実際にこれは事実です。
のめり込もうと思えばいくらでも入って出たくなくなる、もう1つの身近な世界。
でもやっぱり、まわりに古いと笑われようとも、
ちょっと無理もあるよな〜という感覚も、私は持ち続けていたいのです。
電車の中では、音楽を聴くか、本を読むか、ボーッとする、
旅行へ出かけたら、ネットは開かない...が、マイルールです。
そうすると、ネット世界はもっと魅力的に思えてくる!これも本当です。


人間の心は、必ずしもすべてを言葉にできないし、理解しようとする努力にも限界がある。
だからこそ、誰かとのやり取りの合間に、
そうかもしれない、違うかもしれない、どうなのかな〜と「思いを馳せる」時間も、
ネット社会の恩恵と共に、大切にして行きたいと思うのでした。




[photo data]
Olympus E-410 ZUIKO DIGITAL14-54mm F2.8-3.5
ISO100 F4.0 1/400 +1.0ev 54mm
小浜島の風に揺れる小さな向日葵。
なんとなくコスモスみたいで、今観ると秋を感じます。

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