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Steve Jobs氏、逝く

2011-10-07-1.jpg10/6、午前11時。訃報を携帯のニュースで知りました。
私のiMacは、立ち上げると自動的にAppleのページが開くようになっています。
その日はたまたま早起きで、7時前に一度PCを開いてメールをチェックしたのですが、その時にはまだ何事も変わったことはなく、Appleのページにも、いつも通り製品ラインナップが鎮座しているだけ。
一通りの作業の後、一度PCを閉じていました。
携帯をにぎりしめたまま、急いで再度をMacを立ち上げると...
開いたAppleのページは、ジョブスの哀悼ベージになっていました。
そしてその時に初めて、

  あぁ、本当なんだな。

と思いました。



ジョブスが膵臓ガンを患い、数年前に肝移植までしていたことは、知っていました。
でも、ずっと健康状態を心配されながらも、要所要所ではその姿を見せてくれていたので、
大丈夫なのかな〜と思いながら、一方ではそんな事は忘れ、Appleファンの1人として、
次々と出る新しい製品に驚かされるのを楽しみにしていました。
だから、こんなに早く亡くなるとは思ってもみませんでした。
そして、自分がこんなにもショックを受けるとも、正直思ってもいませんでした。

私のパソコンライフはずっとMacと共にあります。
最初がPerforma、その後にG4、iBook、そして今はMacBookとiMacを使っています。
iPodも手放せません。
譜面を書き、フライヤーを作り、ネットを見て、メールを使って、写真を管理し、
ブログを書き、音楽を聴き、買い物をして、CDを創る...
とにかく全部を、Macを使って行っています。

とはいえ、詳しい人に色々と教えてもらいながら使っているので、
決して自分がコンピューター通ではないんですよ。
恥を忍んで言うなら、私はWindowsを目の前にすると、もう完全にお手上げなんです。
「あんなに普段PC使ってるくせに、どうしたの??挙動不審!!」
と周りに笑われるほど、オタオタしてしまいます。
入れたCDRを取り出せない、文書の保存ができない、ファイルを探せない...etc.
極めつけは、英数字とかなの入力切り替えすらできません。
仕方ないので、今は開き直って
「私はWindowsは使えません」
と言い切っています。
いわば、そのくらいMacとWindowsは操作方法の基本の考え方が違うのですが、
両方を使いこなしている方も大勢いらっしゃるので、これは言い訳ですね(^^;
はい、私はMacが好きなのです。それだけです。
操作性の良さと同時に、そのデザイン性の高さにも魅かれて、今までずっとMac一筋で来ました。


コンピューター大好き!な人ならば
「ちょっと小難しいパソコンを使いこなす」という、その事自体に喜びを見いだすこともあるでしょう。
でもMacは「パソコンを使っている」という特別な意識なく、
「それにハンデを負うことなく、やりたい事がすぐできる」という事に、大きな魅力があるのではないでしょうか。

例えば、ファイルを別のフォルダに移す時、ドラッグしてドロップすれば良いとか、
いらないファイルはゴミ箱に入れれば捨てられるとか、視覚的に物事が操作できるのは、Macならでは。
現在では多くのコンピューターで、そのような操作ができるようになっているようですが、
最初から全部がそうではなかったんですよ。

   こうできたらいいのに...が、できる。
   こうしたらできるかな? あ、できた!

こういうことがたくさんあって、日常動作の延長線上にコンピューターがあるという感覚が、
素人の私でも身構えずにPCをやってみよう、これは楽しい、と思わせたのだと思います。

そして、Macには、持っているだけで格好良い気分にさせてくれる、そんなワクワク感もあります。
Macのコンピューターは見た目が可愛い!これは重要です。
海外映画やドラマでも、使われているのは、ほとんどMac。
それらを見るのも、全然関係ないのに、なんだか自分が褒められているような気がして
照れくさいような、嬉しいような...そんなくすぐったい気持ちがしたものでした。
こういう事こそが、ジョブスの素晴らしさだったと私は思っています。

そういえば、MacではUSBメモリやCDRなどを取り出す時に、
そのアイコンをゴミ箱へ入れるという操作をするのですが、
それが最初はとっても不安で、本当に大丈夫なの?とドキドキしたのも、良き思い出です。
(今も操作は同じですが、ゴミ箱の上にアイコンを持ってくると「取り出す」という表示が出るようになりました)


Appleを世界的な企業へと育て、天才として名を馳せ、富を築いたジョブス。
しかし、決して順風満帆な人生だった訳ではありません。
自分が創設した会社から追い出されたり、どちらかというと辛い時の方が多かったのではないかとさえ思ってしまいます。
でも、そんな波瀾万丈な中でも自分の意志を貫き、失敗しても失敗しても失敗しても諦めない...
その不屈の精神にはただただ畏れ入るばかりです。
成功しているのは、成功するまでやるから、成功するんだよ、と教えられるようです。
人間はみんなジョブスのように信念を貫けないし、
全員がそうだったら、それはそれで世界も大変だと思うのですが
こういう稀な才能の持ち主が、自分の生きる時代にいてくれたことは本当に嬉しいことです。

ちょっと前に私は、
コンピューターの進化が、人間の心の処理能力を上回ったのは懸念されるべきこと...
というブログ「思いを馳せる」を書きました。
この進化は、まさにジョブスの功績です。
私は、そんな文明の進化をちょっとでも懐疑的に見ていたのではないか?
もう進化なんかしなくても良いと思っていたのではないか?
だから、今回のこの「ジョブスへの思い」には、自分でも矛盾を感じて戸惑いました。

でも、鉄道や印刷技術ができた時に匹敵するような、
生活を大きく変える革命を起こした人がいなくなってしまった事を思う時、
心によぎる何とも言葉にし難い寂しさは、途方にくれる程にどうすることもできません。
家の中には、あっちにMac、こっちにMac..
リンゴを見るだびに、哀しみが押し寄せて止みません。

そして、あらためて思いました。
大切なのは、文明の進化に振り回されないこと。
コンピューターは、手段であって目的ではありません。
普通の人が普通に使えるコンピューター。それがMacです。
Macを使って、己は己の道を行く。
それが、ジョブスが私たちにもたらしてくれた事への、大きな感謝と賛辞になると信じます。

表題のイラストは、香港在住の19歳のデザイナー、Jonathan Mak氏の作品「Thanks, Steve」。
今年の8/26にUpしたそうです。
とても素敵だったので、哀悼の気持ちを込めて今回使わせていただきました。

今までありがとう、スティーブ・ジョブス。
彼亡き後も、Appleにその精神が受け継がれ、素敵な製品が生まれますように。
私はこれからもずっと、Macユーザーであり続けるでしょう。
「林檎の魔力に惑わされ、自分を見失わない」という強い気持ちを持って。

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