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江戸ひぐらし

20101025-1.jpg最近、時代小説にどっぷり浸かっています。
きっかけは、畠中恵さんの「しゃばけ」シリーズでした。
(こちらの詳細は過去ブログをどうぞ。
 http://akikoyanagisawa.com/carioca/2009/11/post_131.html)

今夏に9巻が出て、あっという間に読んでしまって、あーまた来年までお預けだなぁと思っていた矢先、
一緒に店頭に並んでいた宮部みゆきさんの時代小説「あんじゅう」を買ってみたら結構面白かったので、
よし、他のもいけるかも!ということで手を広げることとなりました。

というのも、大好きな畠中さんなのですが、
「しゃばけ」シリーズ以外には、まだ残念ながら作品数が少なく、もう読むものがナイ。
そんな折、彼女のエッセイ集の中に、
「時代小説では、宮部みゆきさんの「本所深川ふしぎ草子」「妖色江戸ごよみ」等に影響を受けた云々」という下りがあって、

  そうか、畠中さんが宮部さんの作品も読んでいたのなら、この2冊も読んでみよう!

と、「あんじゅう」から遡って初期作品を読み始めたら...止まらない(笑)。
もともと深川育ちの私としては、日本橋、永代橋、門前仲町、木場町などなど、
出てくる地名にも親しみが深いので、馴染み易いというのもありました。

ご存知の通り、宮部さんは時代小説だけでなく、現代小説も書きます。
でも、私は今まで時代小説は「あんじゅう」以外は読んだことがなかったのです。
知らなかったなんて、本当にもったいない事でした。
幸い、図書館にほぼすべての作品があるので、数冊まとめて予約して取り寄せて読んで、
返したらまた数冊まとめて予約して取り寄せて読んで...の繰り返し。
あっと言う間に残すところあと3冊に程度になってしまったので、
宮部さんを読み尽くしたら、次は誰の作品を読もうか... 目下、物色中です。


宮部作品の魅力の1つは、何よりも丁寧な情景描写です。
場面場面を、あたかも映画の1シーンのように読者の頭の中に浮かび上がらせる表現力、
この作品1冊で何曲の歌詞が書けるだろう?と思わせる美しい日本語の文章力、
物語の構成力の高さ、読みながらも読み終わっても心に残る余韻は、村上春樹氏に通じる凄みがあります。
私はこういう作家が大好きです。

平仮名ばっかり、改行ばっかり、短い会話の羅列とテンポの早すぎる展開、
2時間程度であっという間に読めてしまう作文みたいな文章で、
私、何をしたいかわからないの〜、どうしたらいいの〜という優柔不断の主人公が自分探しをするような作品(特に若い女性作家のモノが多い...)のを読んでいると、私は共感どころかイライラしてしまいます。
叫びたいほどつまらない作品に出会うと、美味しくないレストランに入ってしまった時のような後味の悪さと後悔を、数日間消すことができないのです。

でも、畠中作品、宮部作品にはハズレは、ほぼありません。
通(つう)から見たら、まだまだ甘ちゃんな私が好んで読むのは、いわゆる「町人もの」で、
大河ドラマになるような歴史的人物の活躍伝とか、武家屋敷のお偉いさんの人間模様や権力争いなどはぜんぜん興味がないし、
TVの時代劇も観ないのですが、そういう人でも充分に楽しめる作品もある事を、ぜひ知ってもらいたいなぁと思うのでした。

そして最近、江戸時代のお江戸(現在の日本橋近辺)を舞台にした作品ばかりを読んでいて、思うことがあります。
それは、時代変化によって共に変わる「人の生き方」です。
江戸は今と変わらず、戦争もなく平和な時代であったと言われていますが、
まだ身分制度は強く残っていて、「誰の子供として生まれたか」で、人生が決まる時代でした。
商人の子として生まれれば商人に、武家に生まれれば侍に...という具合に、
そして家が裕福ならば、長男は有無を言わさず跡継ぎに、女性は10代で相応なお家へ嫁入りに。
貧乏子だくさんなら、家族の生活のために丁稚奉公や女中奉公へ、
もっとひどければ娘は親の借金のために岡場所へ売られたり...
自分の人生とて、自分の努力だけではどうすることもできない、そんなご時世だったのです。

もちろん、抜群の器量よしで身分桁違いの大店の息子に見初められて玉の輿にのる娘や、
丁稚から努力して手代になり、番頭になる奉公人もいる事はいますが、それにはそれで並み大抵どころではない努力が伴ったでしょう。
余裕のある家もある一方で、陽の当たらない貧乏長家に住み、本当に食べるだけで精一杯の”かつかつ”のその日暮らしをする家に生まれたら、そこで生きていくしかありません。
結婚とて、両家が釣り合うような縁談を廻りが勝手に決めて、祝言の当日に当人同士が顔を合わすのが当たり前だったなんて、今では信じられないような話です。


でも江戸時代には、挫折からの引きこもりや、やりたいことがわからなくてニートになったり、
婚活で苦労するような事は、なかったのではないでしょうか。

「自由」というものは、時に残酷です。
無謀な夢も見ることができるし、実際にそれに向けて努力することもできてしまいます。
でも人間には限界があるし、何をどんなに頑張っても叶わないこと、できないことが存在します。
もちろんそれは、とことんやってみてから判る事なのですが、
ハナから無理そうな事でも本人はその気で頑張ってしまって、結果、失敗して、
大きく挫折して人生を棒に振ってしまうのは、大変もったいなく、同時に大変不幸な事です。

まだ何がどうできるのかわからない最初から
「なんでも好きなことを、やりたいように自由にやりなさい」
と言われて、世間に放り出される今の若者や、
仕事をしても、結婚しても、子供がいても、そうじゃなくても何でも可能な今の女性たちは、
実はとても大変な状況を生き抜いているのかもしれません。

もしかしたら泳げないかもしれないのに、
    さぁ、いつでもドーバー海峡を泳いで渡っていいよ!行ってこい!
と海へ突き落とされるようなものなのかなぁ〜と思ってしまいました。

身の程を知る。
限られた状況の中で、与えられた環境でそこそこ満足し、一生懸命に生きる。
もしかしたら、江戸時代の人たちは、ある意味とても幸せだったのかもしれません...

とはいえ、商売のことは何にもわからず、正月の晴れ着の心配くらいしかないようなお内儀さんならともかく、
少女の頃から住み込みの女中奉公なんて出来たかな...いや、絶対無理だろうなぁ(苦笑)


さて、戯言はこのくらいにして、
宮部みゆき著作のオススメは...
小作品なら「初ものがたり」、短編集なら「妖色江戸ごよみ」、
長篇なら「ぼんくら」「ひぐらし」。
(この2作は続きです。私は「ひぐらし」→「ぼんくら」の順に逆に読んでしまったので、
スターウォーズみたいに、登場人物の過去をあとで知るという状況になってしまいました(^^;)が、それでも面白かったですよ)

そして、何も考えずにクスクス笑って、時々ほろりとさせられて、
とにかく楽しく何の抵抗もなく時代小説に入れるのは...
やっぱり畠中恵著「しゃばけ」シリーズです!

皆さんもぜひ1度、江戸の人間模様をご堪能あれ。


20101025-2.jpg[photo data] Olympus E-410 ZUIKO DIGITAL ED 50mm F2.0 Macro
1)ISO400 F2.8 1/30 +1.0ev 50mm
静岡の掛川城のお茶室でいただいたお菓子。
この日はとても暑かったので、冷抹茶と一緒にいただきました。

2)ISO100 F8.0 1/50 +1.0ev 50mm
掛川城の天守閣からお屋敷を臨む。
タイムスリップしたような情景です。

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